Instagramへの愛

日記は1日の出来事につき、ひとつずつ書いてきた。

でも今日はどうしても書きたい。

どうも長くなりそうです。

 

わたしが高校生の頃のインターネットでは、

ヤプースなどで写真やちょっとした気持ち、できごとを

投稿することが流行っていた。

ブログの先駆けだった、日記というものと併用して使う

webサイト管理者がたくさんいた。

わたしもその中のひとりだった。

わたしはヤプースのようなサービスが大好きだった。

ガラケーモブログを使っていつでも気軽に投稿できたから。

 

そんなわたしは2010年10月15日にInstagramへ初投稿をした。

Twitterでちょっとした言葉は残せるようになったけれど

当時Twitterだと写真はきれいに表示されなくて(そもそも画像投稿機能あったかな?)

そんなときに登場したInstagramに、わたしは高校生のときに使っていた

ヤプースやそれに似た類のwebサービスを思い出してとてもわくわくした。

 

Instagramの世界に陰険ななにかはない。

(知らないだけかもしれないけれど、それは幸せなことだから知りたくない)

Twitterのように足を引っ張り合うようなやりとりも目にしなくて済むし

最近でこそコメント欄でメディキュア?の宣伝などが激しいけれど

とにかくわたしのInstagramのタイムラインは

ペパボ(前職)の人たちとハッピーな写真で埋め尽くされていたのだ。

当時友達がInstagramをするためにiPhoneを買ったときは衝撃だった。

けれどそこまで人を魅了するInstagramに憧れさえ抱いていた。

 

なのに、まず昨年2016年には、タイムラインが新着順ではなくなった。

それはわたしが上記にしたためた、Instagramに求めていることに

反しているだろうか?と問われたら、そうではない。

わたしの目的は達成できている。

幸せなタイムラインであることには変わらない。

なのになぜ?ものすごくストレスを感じ始めた。

そのアップデート以前は

金曜の夜に楽しそうな写真が並べば、週末を感じられたし

夕焼けの写真が並べば仕事が終わる時間だと思えたし

晴れの写真もあれば雨の写真もあると、同じ国なのに天気はこうも違うのかと

当たり前のことなのに実感することができたし、

それでも遠くの誰かと同じ時を過ごすような幸せを感じることもできた。

それがぽっきり失われてしまったのだ。

これは数ヶ月経った今もストレスである。

 

広告写真の質が落ちたことにもわたしは目を瞑ってきた。

でも少し冷めてきたのが複数枚投稿機能。

Instagramって、これだ〜!って写真を決めて投稿する場所じゃないの?

わたしにだってあります。

今日はあれもこれも投稿したいって思った日。

連続投稿してごめんなさいと思いつつも投稿した日。

連続投稿すると承認欲求が微妙に満たないと思いながらも連続投稿した日。

でもそれはわたしにとって、複数枚投稿できれば

解決できることじゃあなかったんです。

それでもわたしは誰かの一投入魂が見たかったんです。

良い使い方を学んだ暁には、複数枚投稿最高〜!などと

わたしも言うのでしょうか。可能性は否定できません。

 

うるさい、そんなことを言うのならInstagramなんておやめなさいな!と、

自分でも少し思うのですがInstagramへの気持ちを整理したくて書きました。

それでも嫌いになれない理由として、わたしのタイムラインが最高なこと

LIVE機能のような最高な機能を突然つけてくること。

Instagramは、いつも傷付けてくるのに

たまに優しくしてくれる彼氏のようなもので

なかなか離れられなくて、やっぱりそれでも好き!!!

だから、複数枚投稿も乱れたタイムラインもいつか愛せるようになりたい。

あといくつか嫌なところが見えたら愛がスッと冷めてしまうんだろうか?

いやだ!それならわたしから歩み寄りたい!

Facebookからユーザーが流入してきてユーザー層が変わったんだよね?

だからそういう層に好かれる機能を追加してるんだよね?

複数枚投稿もめちゃくちゃなタイムラインだって愛せるように努力するから!

そういう思いで、最近Instagramを使用しています。

 

ここまで人を魅了するようなアプリをわたしは作りたいよ!!!